研究と開発

NO-113[精素学]  科 学 論

科学は何処まで科学であり、哲学は何処までが哲学なのか?現実、科学は様々なコンピュー夕ーや機械ならび人工衛星まで宇宙へ飛ばしている。だが、それらの根本的な力とエネルギーの元素はどのようにして成立したのか、その実態はあまり分かっていない。また拭験管ベビーを生ませる実験が進み、それによって育っている赤ちゃんがいる。しかしいかに試験管ベビーが盛んになるとしても、卵子や精子は作れない。現実化学も非常に発達していて、あらゆる粒子の結合やらそれぞれの反応を起こし色々な実験をしているものの、その元たる元素は作れないのである。これ以外にも様々な機械や科学兵器を作っていても、そのものの根本原理の製作は難しいのである。ただやってみる間に飛行機が空を飛ぶようになったのであり、ロケッ卜を飛ばしてみると宇宙を走るようになったのであり、電気のプラス、マイナスをコントロールしてみると電気がついただけであって、その光子がどうして現れるのか、地球は何故自転公転するのか、それぞれの原理と実態は一つも分かっていないのである。今だに人間が死ねば天国地獄へゆくと信じており、それぞれの魂によって死後の世界を描いている人が殆どである。とにかく科学というのはあるものの、実験によってそうなったからそれを記憶してそれをもっと優秀に丈夫に便利に仕組んでいくだけである。このような形で進んでいく科学は、その限界というものがあって、そこへ到達すると今度は役に立たなくなるのである。一例をいうと、ウラニウムがなくなれば核兵器は使えなくなるのであり、ガソリソのような燃料が耐えれば飛行機も車も役に立たないのである。電気にしても発電に必要なダイナモー等がなくなれば電気もおこせないのである。本当の科学たるものは、空気の製造、ガソリンの製造、元素の製造、これらが出来てこそ始めて科学的実論を唱えることが出来るのである。現実、科学でのビタミンと栄養バランスをとれば健康を保つことが出来るという。はたしてそうだろうか?人間は年をとると力がなくなり頭が惚けてしまう。だがそれらの根本原因は何一つ知っていない。ただ細胞が死んでゆくそして老化する。これだけで科学論といえるのか?これらの科学は益々人間を滅ぼし、やがては地球上全生命体をだめにしてしまうのである。放蕩は知っていないながら知っている振りをする。間違った理論をもって正しいと思う。このようなことになってからは、この先、科学者の誤ちによって人類は滅ぶのである。

著 力 抜 山